一人で考える時間と教師の支援

 今週は、授業を参観させていただく機会が3件。見ていただくのが1件。毎日、見るか、見られるかでした。

そこで、気になったことがあります。

 一斉授業では、教師の説明、発問。その後、「じゃあ、一人で考えてご覧」→「隣(班)の人と話し合ってご覧」というのが多くありました。一人で考えているときの子どもの顔は、無表情、苦悩、班で話しているときは笑顔というのもよくあります。まぁ、一人で考えてニタニタしているのは変ですよね。

 で、気になるのは、一人で考えているときにペンが動かない子なんです。やっぱり目につきます。分からないのか、意欲が低いのか分かりませんが、その子にとって「一人で考える時間」は苦痛でしかないだろうかと思いました。そして、その後班での交流。自分の考えのない状態で参加することは、非常に自信をなくすことにはならないかと思います。

 一人で考える時間は大事だとも思います。しかし、教師が指定した時間(たいてい5分程度)で自力解決できること、1分で手が止まる子もいるはずです。だったら、時間を指定するのではなく、「まず、自分で考えてみて、無理やったら友だちと相談しよう」ぐらいでいいのではないでしょうか?「自己解決能力」が身につかなくなるという考えもあるかもしれませんが、まったく思考が止まってしまい、その後の学習意欲もなくすような時間は「問題解決能力」を高めることにはならないと思います。

 一人でどれだけ考えるか、どれだけ多くの友だちの意見を聞くのかも個人に保障してあげる必要があると思いました。

 

 指導案には、教師による支援が書かれています。指導者の先生が子どもたちの実態に即して予想される考えを元に考えられている支援ですが、気になりました。

 「子どもたち」なんですよね。しかし、教師から与えられた支援が必要な子どもは一部であり、全員に有益な支援にならない場合もあるのではないかという思いがしました。

 やはり、一斉指導で、教師一人が個々の生徒に最適な支援を行うことは難しすぎます。

 授業の主人公は子どもであり、子ども自身の力で友だちの力を借りて課題を解決する方法が、子ども自身にとって最適な支援を得ることができ、セルフイメージも向上すると感じました。