カリスマになるのは教師ではなく、生徒でなきゃ。

 どうやったら子どもにわかるような説明ができるか、どんな活動を設定すれば、生徒が自主的に学習を進めることができるだろうかと、夜遅くまで残って作業をされている先生がいます。

 しかし、『学び合い』を実践された先生はわかると思います。確かに、教師の力量は大事です。しかし、どんな説明をしても、100%の生徒を理解させることは不可能です。自主的な活動はさせることはできるかもしれませんが、「主体的な活動」は不可能です。しかし、残念ながら、ここを極めようとして90%の生徒に理解をさせ、カリスマとして捉えられている先生がいます。じゃあ、10%の子は?「しかたがない???」

 これが、現実ではないでしょうか?

 10%の生徒は、切られている。それで、カリスマでしょうか?ここまで、説明したのだから、理解できないのは子どものせいである。とまで言わんとする雰囲気すら感じるときがあります。

 本当のカリスマ教師とは、「生徒をカリスマにできる教師」です。『学び合い』ならできます。

 教師が、明確かつ倫理的、社会的能力を引き出す課題を設定し、子ども同士が関わり合える環境整備をすることそこ教師の役目であると思います。「だれも置いてきぼりにしない子ども」こそ、カリスマではないでしょうか?