授業が始まり、1ヶ月。どんな様子でしょうか?
今年は、中学2年生4クラスの理科を担当していますので、昨年より授業数も増え、「理科の教師感」が強まっています。
授業開きのときに、アクティブラーニングを紹介し、「どんな風になるんだろう?」「どうすればいいんだろう?」と戸惑いと期待に満ちあふれていた雰囲気は、緊張もなくなり、少しマンネリ化してきているように感じます。
こんなときは、原点に返ります。
「なぜ、アクティブ・ラーニング」が必要なのか?」「学ぶべきものは何なのか」
授業における価値観を定着させる必要があります。
今まで、一斉授業を受け、わからないことは教師に質問し、仲間と関わることがなかった生徒にとって、「なぜ、教室で仲間とともに学ぶのか?」という答えを見つけ出させなければなりません。
未だに、私に学習内容を質問に来る生徒がいます。しかし、「それは○○くんが、今、説明できるよ」と促します。
その生徒は、少しめんどくさそうに聞きに行きます。
何でも要求すれば、与えられてきた生徒にとって、めんどくさいことかも知れません。
しかし、その生徒の将来のことを考えれば、「仲間」こそ財産なのです。
そのことに、早く気づいて欲しいと思います。
「楽」こそ一番めんどくさいこと
学校現場では、ビジネス界のやり方がスマートとされているような気がします。
一番、わかりやすいことが「学級経営」ということばです。
もし、これが靴屋さんだったとします。
そうなると、「店舗経営」と言うことになります。
店長は、売れ筋の商品を一番目立つ場所に展示し、不良在庫になりそうな商品をセール品として販売します。
つまり、「在庫管理」を徹底すれば、不良在庫は産まれません。
不良品に関しては、メーカーに突き返すことができます。
では、学級ではどうでしょうか?
担任は、何をすべきでしょうか?
もし、生徒を「管理」するのであれば、生徒に優劣をつけるのでしょうか?「規格外」とされた生徒はどうなるのでしょうか?(言い方が嫌ですか)
生徒は商品ではありません。
優劣もなければ、規格外もありません。
みんな必要なのです。そして、みんな、ちがうのです。
そんな状況で、規格化された取り組みを行えば、どうなるか一目瞭然です。
ついて行けない生徒が出現します。
そして、その生徒に「なぜできないんだ!みんなできているじゃないか!」と指導(?)するのです。
確かに、全員に規格化されたことをやらせ、それができるかどうかで判断することは楽です。
しかし、さまざまな個性をもった集団で「管理」を行えば、「排除」される生徒が出現し、その指導に追われることになるのです。
ならば、初めから個に応じた指導を行えばいいのです。
教師一人では、到底無理です。
だからこそ、アクティブ・ラーニングが必要だと思います。
そして、「規格」を教えるのではなく、「価値」を教えていくことが、教師の役割だと思います。