Common sense is the collection of prejudices acquired by age 18. - Albert Einstein

『学び合い』にしても、アクティブ・ラーニングにしても、何にしても。

周りと違うことをしようとすると感じるもの…。

「孤立感」

多くの方が感じたことあるんじゃないでしょうか?

今日も、「孤立感」を感じます。

 

「子どもたちの幸せ」を自分なりに考え、核心をもって取り組もうとしても

「常識」とか「一般的に」とかで、否定はされないものの、なんとなく「疎外感」を感じます。

 

いつもとはちがうこと、世間とはちがうことに対して、排他的な気持ちになることって「偏見」だと思います。

 

子どもを中心に据えた教育じゃないと、子どもたちが不幸せになります。

教師が保身を考えた教育は、子どもたちは不幸せになります。

 

教育の目標は、「人格の完成」です。

 

偏見をもった差別者に教え子をしたくありません。

教師である私にとって、担任は繰り返しやってきます。

当たり前ですが、子どもたちにとって中学3年の担任が私であることは、一生涯ついていきます。

だから、子どもたちの生涯を考えます。

「幸せになって欲しい」と思います。

 

教師のほんの一言で、ちょっとした表情で、子どもたちの将来が変わる場面を何度も見てきました。

 

「学力保障」とか「進路保障」とか言うんだったら、「生涯保障」する視点をもつ覚悟をしてほしい。

 

教育論の意見の相違であれば、いくらでも議論をするし、自分自身を振り返ろうとします。

しかし、教育の原点がずれた意見に対しては、失望感や孤立感を感じてしまい、議論しようと思いません。

 

『学び合い』の「全員で」の理論から離れてしまいますが、パワーが出ないんです。

 

そんな時、私は自分自身に「教育実践者」と言いきかせています。

机上の空論を並べるのではなく、目の前にいる子どもを大切にするんだと言いきかせています。

 

こんな時は、子どもたちからパワーをもらって、頑張ります。

こんな時こそ、「つながり」に支えられます。

 

この「つながり」を、子どもたちにも中学時代から経験し、大切にできる人になって欲しい。

ただ、それだけなんです。