『学び合い』にしても、アクティブ・ラーニングにしても、何にしても。
周りと違うことをしようとすると感じるもの…。
「孤立感」
多くの方が感じたことあるんじゃないでしょうか?
今日も、「孤立感」を感じます。
「子どもたちの幸せ」を自分なりに考え、核心をもって取り組もうとしても
「常識」とか「一般的に」とかで、否定はされないものの、なんとなく「疎外感」を感じます。
いつもとはちがうこと、世間とはちがうことに対して、排他的な気持ちになることって「偏見」だと思います。
子どもを中心に据えた教育じゃないと、子どもたちが不幸せになります。
教師が保身を考えた教育は、子どもたちは不幸せになります。
教育の目標は、「人格の完成」です。
偏見をもった差別者に教え子をしたくありません。
教師である私にとって、担任は繰り返しやってきます。
当たり前ですが、子どもたちにとって中学3年の担任が私であることは、一生涯ついていきます。
だから、子どもたちの生涯を考えます。
「幸せになって欲しい」と思います。
教師のほんの一言で、ちょっとした表情で、子どもたちの将来が変わる場面を何度も見てきました。
「学力保障」とか「進路保障」とか言うんだったら、「生涯保障」する視点をもつ覚悟をしてほしい。
教育論の意見の相違であれば、いくらでも議論をするし、自分自身を振り返ろうとします。
しかし、教育の原点がずれた意見に対しては、失望感や孤立感を感じてしまい、議論しようと思いません。
『学び合い』の「全員で」の理論から離れてしまいますが、パワーが出ないんです。
そんな時、私は自分自身に「教育実践者」と言いきかせています。
机上の空論を並べるのではなく、目の前にいる子どもを大切にするんだと言いきかせています。
こんな時は、子どもたちからパワーをもらって、頑張ります。
こんな時こそ、「つながり」に支えられます。
この「つながり」を、子どもたちにも中学時代から経験し、大切にできる人になって欲しい。
ただ、それだけなんです。