11年ぶりの異動。
片付けに追われた3月
新しい職場は、同じ市内の中学校といえども、違いの多いこと!
本年度は、初めての学年主任!!
「まぁ、そういう年齢になったってことよ。好きなことだけをすればいいって訳じゃないんよ」と嫁さん。「『学び合い』&生徒会&平和劇」と好きなことばかりしてきましたが、学年主任といえども、なにか企みたくなります。
今回は、同じ学年の若手の先生の姿を見て気付いたことを整理したいと思います。
入学式の数日後、宿題を忘れた生徒を集め、宿題をさせようということになりました。
放課後、その教室に行ってみると、入り口で一人の生徒と、その後ろに立つ若手の先生の姿が見えました。
少し離れて見ていると、その生徒はパニックを起こし、若手の先生はどうしたらいいか分からない様子。
しばらく様子をみて、近づきました。
私は、パニックを起こしている生徒の横にしゃがみ、下から「どうした?何かいやなことがあったの?」と優しく声をかけてみました。
生徒は、涙を流して、しきりに悔しがっている様子。
「どうして泣いているの?友達から何かされたの?先生達が何か悪いことしたかな?もし、悪いことしてたらごめんね」とゆっくり話を進めました。
すると、朝の会の時点で、担任(その若手の教師)からは、「宿題を忘れていることを指摘され、明日は忘れないように」と伝えられたが、放課後に残って宿題をするとは聞いていない。だから、帰りたいのだということがわかりました。
「ごめんね。先生の伝え方が悪かったね。謝るから、許してくれるかな?」と伝えるとだいぶん落ち着きました。
「宿題は、自分のためだけじゃないんだ。仲間のためにもやって来てほしい。だから、明日からは、やってきてくれる?」と聞くと、うなずいてくれました。
このやり方が、正しいかどうかはわかりませんが、気付いたことがあります。
その若い先生は、「指摘」をし、「指示」を出しているが、「指導」は行っていないのです。
「宿題ができていない」「服装が乱れている」などは「指摘」
「宿題をしなさい」「服装を正しなさい」などは「指示」
では、「指導」とは?
「そのことの『価値付け』」ではないでしょうか?
「宿題をすることで、わからない人と関わることができる」→「仲間のためになる」→「みんなハッピー」になる。
「服装を正すことによって、相手に心地よい印象を与える」→「仲間のためになる」→「みんなハッピー」になる。
こじつけのように思えるかも知れませんが、「指摘」と「指示」だけでは、生徒のセルフイメージは下がり、さもすれば反発によって、自分の意志を表現するかもしれません。
「指導」とは、社会や学校、学級にあるルールやマナーに価値付けをし、他者との関係をよりよい方向に導き、その具体は生徒に任せることではないでしょうか?
もちろん、「生徒を無条件に信じる」ということが前提ですが…。