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「今の教室に銃弾が飛び交ったり、爆弾が落ちてくることはない。でも、血が流れている。言葉や身勝手な行動で、仲間の心から血が流れているんです」

 前任校では、1988年から途中2年の休止期間はありましたが、毎年8月に平和集会・平和劇を行っていました。10年ほど前の休止期間復活から関わるようになり、自分自身が学ぶことが多く、どっぷりはまっています。

 本年度異動した赴任先は、平和集会・平和劇を行っている数少ない中学校でした。(内心、ホッとしてました)体育祭が終わり7月に、平和集会の話題になり、移動したばかりですが実行委員を仰せつかり、2018年度平和集会・平和劇に関わることができました。

 本校では、8月6日に体育館で暗幕を閉め、40分程度の劇、意見交流を行っていました。ある日、生徒会長が私が実行委員長をしていることを知り、「今年は、文化会館で実施したい」と言ってきました。「しかし、8月6日は前任校が押さえているはず。8月6日以外でも押さえられてたら難しいよ」と伝えました。文化会館は1年前からの予約ができるため、生徒会長から話をもらったのが6月。けっこう難しいと考えたからです。しかし、生徒会長は諦めず、自ら文化会館に連絡し、8月4日(土)が空いていること、前日も空いておりリハーサルができることまで調べてきました。そして、管理職に直談判。GOサインが出たわけです。

 しかし、文化会館での実施経験者は、私だけ…。子どもたちはもちろん、教師もイメージがつかめない状況でしたが、生徒達が熱かった!

 実行委員を公募すると64名が集まりました。どちらかと言えば小規模校で、しかも初めての文化会館での実施となると、足踏みしたくなると思ったからです。

 場所と実行委員が決まりました。次は、シナリオです。子どもたちは、「特攻隊」がしたいといって、いろいろ提案しても頑としてして譲りません。そこまで気持ちがあるのなら…。じゃあ、特攻隊でいこう!と決定!!(内心、うれしかたんです)

 次は、「じゃあ、特攻隊のことから『今』の生活に訴えたいことはなに?」と話し合いを進めました。

 「平和学習」を行っている学校は少なくなってきていると感じます。その理由は、2つ。

1つは、「必要性を感じていない」が挙げられます。2つ目は、8月に実施となると、学期末処理、中体連等の行事や業務が忙しいということです。

 1つ目の「必要性を感じていない」のは、「平和学習」を歴史学習と捉えているからではないでしょうか?それは、間違えです。歴史学習なら社会科で学べば良いのです。しかし、戦争体験や唯一の戦争被爆国である私たちは、戦争多くのことを感じ、学んだはずです。憲法9条はまさにそれではないでしょうか?今回の平和劇のセリフにこうあります。

 

 「今の教室に銃弾が飛び交ったり、爆弾が落ちてくることはない。でも、血が流れている。言葉や身勝手な行動で、仲間の心から血が流れているんです」

 

 いじやめや差別は、まさに「戦争」です。つまり、身近な仲間のことを考えること。仲間と幸せに暮らすこと。世界からあらゆる差別や抑圧を受けずに、幸せに生きることができ、明日に希望をもつことができる教室こそ、平和だと思うのです。ここに焦点をあてなければいけません。平和とは、身近な問題なのです。そして、いじめや差別をなくすために必要なことは、戦争を体験された方々の話の中にたくさん感じることができます。

 2つ目の教師の多忙感ですが、生徒に主体性があれば、できます。もう11年間やってきています。担任&2学期初めの修学旅行担当&家庭訪問&夏期研修会の発表と重なった年もあります。でも、子どもたちがつくる平和集会・平和劇です。できるんです。問題なのは、そこまで生徒を育てているか?です。教師がいないとできない。教師がレールを敷かなければ前に進めない生徒を育成していれば、教師の負担は増えます。でも、子どもたちが本気を出せば、教師の何十倍、万百倍の力を持っています。1年生の頃から、子どもたちの主体性を高める教育を実践していれば、仲間同士で高めあい、素晴らしいものができます。その為に、教師は、「生徒を信じる」「失敗をしても、責めるのではなく、寄り添う」この気持ちを大事にしたいですね。

 

 ここまで、お読み頂いてもうおわかりだと思います。私がやっている「平和教育」は、『

学び合い』なんです。

 

 今年も、たくさんの感動をありがとう!!生徒諸君!!